Nothin' But Trouble

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zoom RSS ミステリーの真相は

<<   作成日時 : 2006/04/01 11:37   >>

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このところ、第134回直木賞を「容疑者]の献身」で受賞した東野圭吾氏の小説にはまり、受賞作を含め数冊を読んだ。ドラマ化された「白夜行」や「時生」、映画にもなった「秘密」、「レイクサイド」、「分身」など、同氏の小説はいずれもミステリー仕立てで最後までぐいぐいと引っ張られるように読んでしまうものばかりだ。

何冊か読んで、同氏の作品の手法の一つが見えてきた。それは、「読者に全てを見せない」こと。主人公が語る形式のものでも、作者が描写をする形式のものでも、必ずある視点が決まっていて、その視点から見えるものしか文章にしない。そして、物語が進み、終盤のクライマックスに差し掛かるころに、突然、新たな視点が登場する。その新たな視点に立って、それまで進んできた物語を見直して、全く違った見方で同じ物語を描いてみせる。物語に登場した様々なエピソードが、まったく違う意味合いで語られる。巧妙に隠されていた登場人物の性格や感情が明らかにされる。その結果、ミステリーの真相が明るみに出てくるのだ。この「どんでん返し」がとても上手く書かれていて、「えっ!そういうことなの?!」と驚かされてしまう。

考えてみれば、そもそも、ひとは見たいものしか見ないし、見たくないものは見えないようになっている。同じ事象に遭遇しても、捉え方、感じ方は千差万別だ。認識・識別・選別の根拠はそれぞれの経験や価値観であり、言い換えれば、そのひとの人生が反映されるのだ。ということは、東野氏の手法はミステリー小説という形で我々の生き方を写し取っているのかもしれない。世間ってこういうもの、職場ってこういうもの、友人ってこういうもの、家族ってこういうもの、そう信じて疑わなかったことが、別の視点では、全く異なった風景に見え、違った色合いに見える。なんで違って見えるの?と問い詰めたところで、答えはない。ただただ、そういうものなのだ。

「知っていてすることより知らずにすることのほうが罪が深い」という言葉がある。だが、まず「知る」以前に「見えない」ことがあることを分かっていることが大切だろう。見えなければ知ることもできない。そして、おそらく見えることより見えないことのほうが何倍も何十倍もあるいは何百倍も多いのだ。「何でもかんでもお見通し」ではミステリー=人生は成り立たない。ミステリー=人生の真相に迫るには、ひとである限り自分に見えないことがあることを謙虚に認め、一方で、他の方が何をどう見ているのかを思慮する姿勢が大切なのだろう。

白夜行
白夜行 (集英社文庫)

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