トヨタはなぜゆえにトヨタなのか
トヨタはなぜゆえにトヨタなのか。トヨタをトヨタたらしめている要素は一体なんなのだろう。富士重工株をGMから引き取ることにした、という記事を読んでふと思った。GMは富士重工とカルチャーが違うので相乗効果が期待できないとして株式を手放す、と説明しているが、たとえこれが表向きの説明だとしても、おそらくカルチャーが違っているのは事実だろう。カルチャーが合わないからと株式を手放すGMに対し、トヨタは富士重工の技術力を評価しているようだ。トヨタと富士重工だってカルチャーが違うと思うのだが、異質な物がトヨタに入り込んでもトヨタはトヨタであり続けるし、取り込まれた側はトヨタになってしまうような気がする。トヨタがトヨタである理由は何なのだろう。
張夫社長や奥田会長がいるからトヨタはトヨタである、という認識は間違いだろう。だが、張社長も奥田会長も、トヨタを体現する活動や経営を行っている、という認識は間違っていないと思う。つまり、良く言われるトヨタイズムだ。この抽象的なものが、トヨタをトヨタたらしめている要因なのだろうか。
やっかいなのは、このトヨタイズムの定義が難しいことと、たとえ定義できたとしても実感として理解するのが難しいことだ。現地現物、トヨタ式生産方式(カンバン、アンドン、ジャストインタイムなど)、なぜを5回繰り返す、などなど、トヨタイズムの元、トヨタで何をしているかについては、本や記事から知識として取得でき定義もできる。ところが、場の状態とかグループ間のあうんの連携とか各人のやりがいや達成感ことなどは、おそらく現場でトヨタイズムを体感した人にしか分からない。
つまり、トヨタイズムというのは、日々の業務活動とその業務を遂行しているトヨタ全社員の精神活動が互いに作用し一体となり昇華されて、日々醸成されているものなのではないか。そのトヨタイズムの醸成の繰り返しがトヨタをトヨタたらしめている要因なのだと思う。
思うに、日産でゴーンさんがしたのは、日産らしさをもう一度醸成することだったのかも知れない。ダイムラークライスラーや三菱自動車に今足りないのは、「自社らしさ」をもう一度醸成することなのかもしれない。単なるブランディングでもエンパワーメントでもなく、日々の業務活動と精神活動の相互作用から昇華される本質的な経営運営こそが必要なのかもしれない。そのとき企業のトップに求められるのは育む力や促す力であるように思う。
張夫社長や奥田会長がいるからトヨタはトヨタである、という認識は間違いだろう。だが、張社長も奥田会長も、トヨタを体現する活動や経営を行っている、という認識は間違っていないと思う。つまり、良く言われるトヨタイズムだ。この抽象的なものが、トヨタをトヨタたらしめている要因なのだろうか。
やっかいなのは、このトヨタイズムの定義が難しいことと、たとえ定義できたとしても実感として理解するのが難しいことだ。現地現物、トヨタ式生産方式(カンバン、アンドン、ジャストインタイムなど)、なぜを5回繰り返す、などなど、トヨタイズムの元、トヨタで何をしているかについては、本や記事から知識として取得でき定義もできる。ところが、場の状態とかグループ間のあうんの連携とか各人のやりがいや達成感ことなどは、おそらく現場でトヨタイズムを体感した人にしか分からない。
つまり、トヨタイズムというのは、日々の業務活動とその業務を遂行しているトヨタ全社員の精神活動が互いに作用し一体となり昇華されて、日々醸成されているものなのではないか。そのトヨタイズムの醸成の繰り返しがトヨタをトヨタたらしめている要因なのだと思う。
思うに、日産でゴーンさんがしたのは、日産らしさをもう一度醸成することだったのかも知れない。ダイムラークライスラーや三菱自動車に今足りないのは、「自社らしさ」をもう一度醸成することなのかもしれない。単なるブランディングでもエンパワーメントでもなく、日々の業務活動と精神活動の相互作用から昇華される本質的な経営運営こそが必要なのかもしれない。そのとき企業のトップに求められるのは育む力や促す力であるように思う。
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